大同元年(806年)、弘法大師空海が開創したと伝わる古刹で、真言三宝宗に属する。創建当初は広大な寺域を誇り、乙訓地域における仏教文化の拠点として栄えたとされる。平安時代には本尊として十一面観音菩薩立像が安置され、同像は後に国の重要文化財に指定されるなど、平安仏彫刻の優品として高い評価を受けている。中世には周辺の政治的変動の影響を受け、戦国時代には寺の名を冠した「勝龍寺城」が近隣に築かれ、細川藤孝(幽斎)が居城として整備したことで知られる。1582年の山崎の戦い後には明智光秀が同城に籠もるなど、当寺の名は戦国史とも深く結びついている。近世以降は寺域が縮小し、現在は小規模な境内ながらも創建以来の法…