昌泰2年(899年)、宇多法皇の勅願によって開創されたと伝わる。本尊は歓喜天(聖天・ガネーシャ)であり、山崎聖天の名で広く知られる。中世には天王山を擁する山崎の地の戦略的重要性とともに、寺の消長があったとされるが詳細は不明な点も多い。近世に入ると住友・三井・鴻池をはじめとする大坂の豪商・大商家が財運の霊場として深く帰依し、厚い保護と寄進を受けて隆盛を極めたとされる。しかし元治元年(1864年)の禁門の変(蛤御門の変)に際して戦火に巻き込まれ、堂宇の多くが焼失した。その後、明治期に再建が進められ、現在の伽藍の基礎が整えられた。天王山の登山道沿いという立地から、天正10年(1582年)の山崎の合戦…