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天王山
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天王山
種別
史跡
アクセス
JR山崎駅から山頂まで徒歩約60分
京都府乙訓郡大山崎町
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基本情報
史跡
概要
標高270メートルの山で、天正10年(1582年)に羽柴秀吉が明智光秀を破った「山崎の合戦」の舞台として名高い。「天下分け目の天王山」という言葉はここに由来し、秀吉軍がこの山を制したことで勝敗が決した。山中には酒解神社や宝積寺が点在し、戦跡碑も多く残る。山頂からは大阪湾まで見渡せる眺望が広がり、歴史散策と自然探勝が楽しめる。京都・大阪双方からアクセスしやすく、週末には多くのハイカーや歴史ファンが訪れる大山崎を代表する名山。
由緒
天王山は京都府大山崎町に位置する標高270メートルの山で、古くから淀川・木津川・宇治川の三川合流地点を望む要衝として知られる。山中に鎮座する酒解神社は式内社とされ、古代より山岳信仰の対象であったと伝わる。中腹に建つ宝積寺(宝寺)は奈良時代の神亀年間(724〜729年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝わる古刹である。天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀を追って羽柴秀吉がこの地に布陣、山崎の合戦が勃発した。秀吉軍がいち早く天王山の制高点を押さえたことが勝敗を決したとされ、以来「天下分け目の天王山」という言葉が決定的局面を意味する慣用句として定着した。江戸…
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豊臣秀吉とのつながり
1582年、山崎の戦いで天王山を先に制圧して高地の優位を確保。夜には忍びを光秀陣に送り込んで放火し、翌朝の決戦で光秀軍を壊滅させた。「天下分け目の天王山」の語源となった秀吉の決定的勝利の舞台。
akechi-mitsuhideとのつながり
山崎の戦いで天王山の奪取に失敗し、秀吉に高地の優位を許した。敗走後、小栗栖の竹藪で農民に襲われ致命傷を負い切腹。光秀の天下はわずか11日で終わった。

ゆかりの人物
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