安政6年(1859年)、横浜開港とともに港崎(みよざき)遊廓が開設され、岩槻屋佐吉が「岩亀楼(がんきろう)」を開業した。岩亀楼は豪華な造りで知られ、昼間は入場料を取って一般庶民にも見学させるほどの大遊廓だった。楼内の遊女たちの信仰を集める稲荷が祀られ、土肥(現・横浜市神奈川区)にあった回向所・養生所の敷地内にも稲荷社が置かれた。文久3年(1863年)、名妓・亀遊が外国人客への身請けを拒んで自害したとの伝説が生まれ、この悲話は幕末横浜の象徴的な出来事として語り継がれた。慶応2年(1866年)の大火で港崎の遊廓は焼失し、遊廓は吉田新田・高島町・真金町へと移転。岩亀稲荷も現在の岩亀横丁(横浜市西区南…