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岩亀稲荷
神奈川県
幕末横浜の遊廓「岩亀楼」に宿った稲荷——外国人への身売りを拒んで自害した遊女・亀遊の伝説が今も語り継がれる
創建
1859
種別
神社
アクセス
JR・相鉄線・東急線・横浜市営地下鉄横浜駅西口から徒歩約7分
神奈川県横浜市西区南幸
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基本情報
神社
創建 1859
167年目
御祭神・御本尊
概要
神奈川県横浜市西区に所在する稲荷社。横浜開港(安政6年・1859年)後に港崎(みよざき)遊廓に開業した岩亀楼(がんきろう)の回向・休養所として使われていた施設内に祀られた稲荷神社を前身とする。遊女たちの信仰を集め、楼の廃業後も「岩亀横丁」(現・横浜市西区南幸付近)に移されて保存された。岩亀楼は岩槻屋佐吉が経営した大遊廓で、安政6年(1859年)の開港後から幕末まで横浜の歓楽街の中心を担った。幕末期の名妓・亀遊が外国人への身売りを拒んで自害したという伝説は、有吉佐和子の戯曲「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の題材となり、横浜の幕末史を語る上で欠かせないエピソードとして知られる。
由緒
安政6年(1859年)、横浜開港とともに港崎(みよざき)遊廓が開設され、岩槻屋佐吉が「岩亀楼(がんきろう)」を開業した。岩亀楼は豪華な造りで知られ、昼間は入場料を取って一般庶民にも見学させるほどの大遊廓だった。楼内の遊女たちの信仰を集める稲荷が祀られ、土肥(現・横浜市神奈川区)にあった回向所・養生所の敷地内にも稲荷社が置かれた。文久3年(1863年)、名妓・亀遊が外国人客への身請けを拒んで自害したとの伝説が生まれ、この悲話は幕末横浜の象徴的な出来事として語り継がれた。慶応2年(1866年)の大火で港崎の遊廓は焼失し、遊廓は吉田新田・高島町・真金町へと移転。岩亀稲荷も現在の岩亀横丁(横浜市西区南…
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ご利益
商売繁盛
五穀豊穣
出世開運
事業繁栄・開店繁盛・取引成功。稲荷神社や恵比寿神社で広く祈願される。
御祭神「宇迦之御魂神」のご神徳に由来
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