千住は江戸幕府が整備した奥州街道・日光街道の最初の宿場として、江戸時代を通じて物流と人の往来の要衝であった。慈眼寺はこの千住の地に建つ新義真言宗の古刹で、覚鑁上人が高野山から別れを告げて創建した新義派の教えを伝える。寺名の「慈眼」は観音菩薩が慈悲の眼で衆生を見守るさまを表しており、地域の人々の苦しみに寄り添う道場としての性格を物語る。千住の宿場は繁盛の一方で、多くの人が病に倒れたり行き倒れになることもあり、寺はそうした人々の供養と救済にも関わってきたと考えられる。江戸から明治へと時代が変わっても千住の活気は続き、寺は地域の菩提寺として家々の法事・葬儀を担い続けた。現代においても千住下町の信仰の…