新宿区市谷山伏町の高台に位置する真宗大谷派の寺院で、山号は分應山。寺伝によれば、宇多天皇の第二皇子・明頂法師が三河国吉良庄家氏村に「別昌院」として開基したのが始まりとされる。後に親鸞聖人の教化を受けて浄土真宗に改宗し、寺号も「法城山浄見寺」と改められた。本尊の阿弥陀如来像は本願寺八代・蓮如上人の自刻と伝えられ、開基の明頂が三河から供奉して以来、当寺の根本本尊として大切に祀られてきた。慶長15年(1610年)に江戸に進出し、元和3年(1617年)に八丁堀に「常教寺」を建立、明暦2年(1656年)の明暦の大火後の都市整備にともない現在地の牛込山伏町に移転した。境内は牛込柳町駅から坂道を上った静かな高台にあり、神楽坂・市ヶ谷の歴史散策の途中に立ち寄りたい古刹。都営大江戸線牛込柳町駅から徒歩5分。
常敬寺の起源は、寺伝によれば宇多天皇(在位887-897年)の第二皇子と伝えられる明頂法師が、三河国吉良庄家氏村(現在の愛知県西尾市吉良町付近)において「別昌院」として開いた寺院に遡るとされる。鎌倉時代、親鸞聖人(1173-1263年)の関東教化に際して当寺は浄土真宗に改宗し、寺号を「法城山浄見寺」と改めた。これにより当寺は親鸞門流の系譜に連なる古刹となった。室町時代には本願寺中興の祖と仰がれる第八世・蓮如上人(1415-1499年)が当寺と縁を結び、自ら阿弥陀如来像を彫刻して開基明頂の流れを汲む寺として下付したと伝わる。この蓮如上人作と伝わる阿弥陀如来像は、開基明頂が三河から供奉して以来、当…