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鹿児島城
鹿児島城
創建
1602
種別
アクセス
JR鹿児島中央駅からバス約10分
鹿児島県鹿児島市城山町
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基本情報
創建 1602
424年目
概要
慶長7年(1602年)に島津家久が築いた薩摩藩の本城で、鶴丸城の通称で知られる。天守を持たない質実剛健な造りで「城をもって守りとせず、人をもって城となす」という薩摩の気風を体現。外城制度により領内各地に113の外城(麓)を配置する独自の防衛体制を敷いた。明治維新の激動の中で西南戦争(1877年)の舞台ともなり、2020年には御楼門が147年ぶりに木造復元された。鹿児島県歴史・美術センター黎明館も隣接し、薩摩の歴史を深く学べる鹿児島市の観光中枢。
由緒
慶長7年(1602年)、薩摩藩主・島津家久が築城したのが鹿児島城の始まりである。鶴丸城の通称で広く知られ、天守を設けない平山城として築かれた。「城をもって守りとせず、人をもって城となす」という薩摩独自の気風を体現しており、堅固な石垣と堀を備えながらも、防衛の要は城郭そのものより領内各地に配置された外城(麓)制度にあった。藩内には113の外城が置かれ、武士団が各地に分散居住する独自の軍事・行政体制が維持された。江戸時代を通じて島津氏の政庁として機能し続けたが、明治維新後の1873年(明治6年)に御楼門が焼失した。明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷隆盛率いる薩軍の最後の拠点となり、城山に…
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島津義弘とのつながり
鹿児島城(鶴丸城)は島津義弘の弟・家久が1601年に築城を開始した薩摩藩の本城。義弘は関ヶ原合戦(1600年)後に薩摩に帰国し、この城を拠点とする藩政確立の時代を弟・家久とともに支えた。義弘の武威と豊臣政権下での外交交渉が、薩摩藩の独立性維持を可能にした礎となった。

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