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若宮八幡神社(神楽坂)
若宮八幡神社(神楽坂)
東京都
創建
1189
種別
神社
アクセス
都営大江戸線牛込神楽坂駅A3出口から徒歩6分、JR飯田橋駅西口から徒歩7分
東京都新宿区若宮町18
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基本情報
神社
創建 1189
837年目
御祭神・御本尊
仁徳天皇
応神天皇
ご利益
武運長久・勝運
安産・子授け
出世開運
勝負運・スポーツ必勝・試験突破の勝運。八幡宮や諏訪大社など武門の守護神に由来。
御祭神「仁徳天皇・応神天皇」のご神徳に由来
概要
文治5年(1189年)、源頼朝が奥州藤原泰衡征伐に向かう途中、当地で下馬して戦勝を祈願。奥州平定後、鎌倉・鶴岡八幡宮の若宮の御分霊を勧請して創建した由緒ある神社。祭神は仁徳天皇と応神天皇。文明年間(1469〜1487年)には太田道灌が江戸城の鎮護のため社殿を再興し、社殿の方角を江戸城に向けて配置した。当時は大社で神領も有し「美れいなりし」と記録されている。「神楽坂」の地名は当社の神楽の音が坂に響いたことに由来するとの説があり、若宮町の町名の由来でもある。江戸名所図会にも描かれた名所。境内には明和8年(1771年)奉納の狛犬が残り、明治21年に祭礼を復活させたところ、長年実をつけなかった銀杏が突然結実したとの霊験譚も伝わる。昭和20年の空襲で全焼したが、平成11年に鉄筋コンクリート造で現社殿が再建された。出世開運・子孫繁栄の御利益で知られる。
由緒
文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征伐の軍を率いて当地を通過した際に下馬して戦勝を宿願。平定後に鶴岡八幡宮の若宮を分祀して創建。文明年間に太田道灌が江戸城鎮護のため再興し大社として栄えた。神仏習合時代には天台宗・光明山善門院が別当を務めた。明治2年の神仏分離で別当寺は廃寺。昭和20年5月25日の東京大空襲(山の手空襲)で全焼し、昭和37年に社殿再建、平成11年に現社殿新築。

関連する歴史的事件
2

1189
奥州合戦
文治5年(1189年)、源頼朝が藤原泰衡を討伐した奥州征伐。義経を匿った奥州藤原氏を滅ぼし、東北地方を平定した。頼朝は28万とも言われる大軍を率いて出陣。泰衡は家臣に裏切られ殺害され、約100年続いた奥州藤原氏は3代で滅亡した。この戦いにより頼朝は日本全土の軍事的支配を確立し、征夷大将軍任命(1192年)への道を開いた。出陣に際して各地で戦勝祈願を行い、神楽坂若宮八幡神社もその一社。
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1945
東京大空襲
昭和20年(1945年)3月10日を中心に、米軍B-29爆撃機約300機が東京下町を焼夷弾で爆撃した大規模空襲。一夜で約10万人が死亡し、約100万人が家を失った。第二次世界大戦における最も破壊的な空襲の一つ。3月10日の下町空襲が最も甚大だったが、5月25日の山の手空襲では新宿・神楽坂一帯も焼け野原となり、神楽坂若宮八幡神社をはじめ多くの寺社が全焼した。戦後、焼け跡から東京は急速に復興を遂げた。
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源頼朝とのつながり
文治5年(1189年)、源頼朝は藤原泰衡討伐のため大軍を率いて奥州へ向かう途中、当地で馬を降りて戦勝を祈願した。縁起録には「文治五年の秋右大将源頼朝公奥州の藤原泰衡を征伐せんが為に発向す」と記される。奥州平定後、頼朝は鎌倉の鶴岡八幡宮の若宮の御分霊を勧請してこの神社を創建した。鶴岡八幡宮の「若宮」から分祀されたことが「若宮八幡」の名の由来であり、若宮町の地名もこの神社に由来する。
太田道灌とのつながり
文明年間(1469〜1487年)、江戸城を築いた太田道灌は、当社を江戸城の精神的守護として再興した。社殿を江戸城に相対するよう配置し、当時は神領を有する大社として「美れいなりし」と記録されている。道灌の都市計画の一環として、江戸城と当社を結ぶ精神的な軸線が意識されていたと考えられる。

ゆかりの人物
2

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