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JR藤沢駅から徒歩10分
神奈川県藤沢市大鋸2-6-8
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病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「不動明王」のご神徳に由来
神奈川県藤沢市大鋸に所在する高野山真言宗の寺院。山号は三島山、建保6年(1218年)に道教を開山、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝を開基として創建された。藤沢の地名の由来ともされる三島信仰の発祥地で、建久4年(1193年)には源頼朝が藤沢清親に奉行を命じて大鋸の地に豆州(伊豆国)三島大明神を勧請したと伝わり、この三島信仰の流れが後の感応院創建の基盤となった。境内には三島神社を擁し、神仏習合の典型的な形態が江戸期まで続いた。応永5年(1398年)に幸海が中興、江戸時代の慶長14年(1609年)には江戸幕府から檀林所(学問研修寺院)の指定を受け、慶安2年(1649年)3代将軍徳川家光から3石7斗の朱印地を賜った。東海道藤沢宿の遊行寺と白旗神社を結ぶ旧東海道沿いにあり、鎌倉将軍家ゆかりと江戸将軍家ゆかりが重なる格式高い古刹。JR藤沢駅から徒歩10分。
建久4年(1193年)源頼朝の命で藤沢清親が伊豆国三島大明神を大鋸に勧請したのが三島信仰の原点。建保6年(1218年)、道教を開山、3代将軍源実朝を開基として感応院が創建された。応永5年(1398年)幸海が中興。慶長14年(1609年)江戸幕府より檀林所指定、慶安2年(1649年)家光から3石7斗の朱印地拝領。境内に三島神社を擁し神仏習合の形態を江戸期まで保った。
鎌倉幕府3代将軍・源実朝(1192-1219)は、武家の将軍でありながら和歌を愛し、後鳥羽上皇の歌人・藤原定家の指導を受けて万葉調の勅撰集『金槐和歌集』を残した歌人将軍として知られる。建保6年(1218年)、実朝は兄・頼家の子・公暁(後に実朝を暗殺)が鶴岡八幡宮別当に就く前年、父頼朝ゆかりの三島信仰の地である藤沢大鋸の地に道教を招き、感応院を開基した。翌建保7年(承久元年・1219年)1月27日、実朝は鶴岡八幡宮での右大臣拝賀式の帰途に公暁に襲われ、28歳で暗殺される。源氏三代の将軍としての実朝の治世は終わるが、その最晩年の仏教・三島信仰への帰依の足跡が、この藤沢の地に今も感応院として残されている。
建久4年(1193年)、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、配下の御家人・藤沢清親に奉行を命じて伊豆国三島大明神の御分霊を大鋸(藤沢)の地に勧請させた。三島大明神は伊豆挙兵時から頼朝が篤く信仰した神で、治承4年(1180年)の源氏再興の戦勝祈願もこの神への誓いから始まった。頼朝にとって三島信仰は政権の正統性を支える重要な神祇政策であり、大鋸の地を鎌倉・京都を結ぶ東海道沿いの三島信仰拠点と位置付けた。この勧請の25年後、子の実朝が同地に感応院を開基したのは、父の敷いた三島信仰の延長線上の行いであった。
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