聖地マップ
みんなの投稿
記録
辿る
マイページ
‹
奈良県
Toku
金峯山寺
奈良県
役行者が蔵王権現を刻んだ修験道の総本山・秀吉が花見を催した吉野千本桜の聖地・世界遺産
創建
650 年
種別
寺院
アクセス
近鉄吉野駅からロープウェイ、吉野山駅から徒歩10分
奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
Google Map で開く ↗
基本情報
寺院
創建 650年
1376年目
御祭神・御本尊
蔵王権現
→
宗派
金峯山修験本宗
概要
金峯山修験本宗の総本山で修験道の根本道場として知られる世界遺産。白鳳年間に役行者が蔵王権現を感得し山桜の木に刻んで堂宇を建立したのが始まり。国宝の蔵王堂は東大寺大仏殿に次ぐ日本第二の巨大木造建築物で、天正18年に豊臣秀吉の寄進により再建。堂内の蔵王権現三体は秘仏で中尊は約7.28メートルの日本最大の秘仏。吉野山の桜はこの蔵王権現の御神木として献木されたものが起源。修験道と桜の深い結びつきを今に伝える聖地である。
由緒
金峯山寺は、7世紀後半の白鳳年間(650年頃)に役行者(役小角)が吉野山で修行中に蔵王権現を感得し、山桜の木にその姿を刻んで堂宇を建立したのが起源と伝わる。以来、吉野山は修験道の根本道場として栄え、平安時代には多くの修行者や貴族が入峯するようになった。11世紀には白河法皇をはじめとする法皇・上皇の御幸が相次ぎ、山上の霊場として朝廷からの篤い崇敬を受けた。中世には南北朝の争乱期に後醍醐天皇が吉野に南朝を開き、金峯山寺はその精神的支柱となった。しかし戦国期の兵火により堂宇の多くが焼失し、現存する蔵王堂は天正18年(1590年)に豊臣秀吉の寄進により再建されたものである。江戸時代には修験道が幕府の政…
もっと読む
巡礼コース
日本の寺社100選【奈良・滋賀・和歌山】
0 / 21 スポット
→
古寺100選④近畿・奈良
0 / 27 スポット
→
ご利益
武運長久・勝運
厄除け・災難除け
浄化・お祓い
勝負運・スポーツ必勝・試験突破の勝運。八幡宮や諏訪大社など武門の守護神に由来。
御祭神「蔵王権現」のご神徳に由来
記
関連記事
— 6
蔵
蔵王権現と修験道——吉野・金峯山寺の混合仏の信仰
蔵王権現(ざおうごんげん)とは、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三仏が一体となった日本独自の秘仏です。役行者が金峯山で感得したとされ、修験道の本尊として吉野・大峯山・蔵王山で篤く信仰されています。
basics
›
島
島流しから天下を取り返した天皇——後醍醐天皇と隠岐脱出
後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒を企てて失敗し、隠岐島へ流罪となった。しかし島を脱出し、楠木正成・新田義貞ら武将の支援で1333年に鎌倉幕府を滅ぼした。執念で天下を取り返した異例の天皇、後醍醐の倒幕への道を解説する。
era
›
年
わずか3年で崩れた理想——後醍醐天皇と建武の新政
1333年に鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は、天皇親政による「建武の新政」を始めた。しかし武士への恩賞の不公平、公家偏重の政治に武士の不満が爆発。わずか3年で足利尊氏に敗れ、後醍醐は吉野に逃れて南朝を開いた。理想と現実のギャップが招いた失敗を解説する。
era
›
もっと詳しく · 3
みんなの投稿
0
+
まだ投稿がありません
御朱印
まだ御朱印の投稿がありません
あわせて巡りたい
竹
竹林院
聖徳太子が開創し椿山寺と号したのが始まりと伝わる吉野山の名刹
966m
→
脳
脳天大神
金峯山寺の塔頭・龍王院に祀られる頭脳の守護神
326m
→
吉野神宮
明治天皇が後醍醐天皇を顕彰して創建した官幣大社・建武の新政と南朝の聖地
2.2km
→
如
如意輪寺
後醍醐天皇が眠る南朝ゆかりの古刹・楠木正行が矢じりで辞世を刻んだ扉が今に残る
945m
→
吉野水分神社
秀吉が子授けを祈願して秀頼を得た古社・秀頼が再建した桃山建築社殿と桜が調和する世界遺産
2.1km
→
吉水神社
義経が弁慶と潜居した最古の書院建築・後醍醐天皇の行宮・秀吉が花見の本陣とした世界遺産
317m
→
勝
勝手神社
奈良県吉野郡吉野町吉野山2354に鎮座する神社
556m
→
井
井光神社
奈良県吉野郡吉野町吉野山2343に鎮座する神社
712m
→
記
情報を提案する
位置のずれ / 由緒 / 参拝時間 / アクセス / 設備 / 注意事項 などを提案できます
›
事実と違う内容を報告
›
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
+
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
✕