天慶3年(940年)、武将・藤原秀郷が平将門の乱を平定した後、将門の首を千代田区紀尾井町付近(現在の内山下町とも伝わる)に祀ったことを起源とする。当初は「津久土明神」と称され、天津彦火邇々杵尊(ににぎのみこと)を主祭神とし、のちに平将門も合祀されたとされる。江戸時代には田安門外に鎮座したことから「田安明神」とも呼ばれ、徳川幕府の庇護を受けた。その後、幾度かの遷座を経て九段坂上付近へと移転。明治維新後は近代社格制度のもとで村社に列せられた。関東大震災(1923年)および第二次世界大戦末期の戦災によって社殿が焼失し、戦後に再建された。昭和・平成期を通じて周辺の都市開発に伴い境内の整備が行われ、現在…