上京区智恵光院通出水下る分銅町に位置する浄土宗の寺院。山号は龍護山。慶長13年(1608年)に清印が開創し、元は東山黒谷にあったが元禄年間(1688〜1704年)に現在地へ移転した。境内は豊臣秀吉が築いた聚楽第(天正15年/1587年完成)の南外堀跡にあたり、1995年に発掘調査が実施されている。また、開山・清印の母が重病の際に薬師如来が顕われて秘薬「蘇命散」の処方を授けたという伝承があり、太平洋戦争前まで婦人病・安産に効験ある秘薬として境内で販売されていた。幕末には旧幕府の見廻組の屯所が置かれ、組頭・佐々木只三郎が家族とともに駐在。慶応3年(1867年)の坂本龍馬暗殺に関わる密議がこの地で行われたと伝えられる歴史の寺。
松林寺(龍護山)は浄土宗の寺院として慶長13年(1608年)に清印が開創した。元来は東山黒谷に建ち、後に洛陽川原町を経て、元禄年間(1688〜1704年)に現在の上京区分銅町の智恵光院通沿いに移転した。
分銅町一帯は平安時代には平安京内裏(大内裏)が置かれた地で、安土桃山時代には豊臣秀吉が天正15年(1587年)に聚楽第(面積約17万㎡の巨大な関白の居城兼政庁)を築いた地にあたる。聚楽第はその後天正19年(1591年)に秀次の関白就任とともに豊臣秀次に譲渡され、文禄4年(1595年)に秀次失脚後に取り壊されたが、その南外堀の痕跡が現在の松林寺境内の南方に残るとされ、1995年に発掘調査が行わ…