港区三田4-16の亀塚公園内に残る円墳状の盛土で、古来「**竹芝伝説**の竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を土地の人が神として祀ったもの」と伝わる古墳伝承地。昭和46年(1971年)の港区教育委員会・慶應大学合同調査では副葬品・墓域遺構が確認されず古墳とは判定されなかったが、縄文時代の住居跡が出土し、古代以来の生活痕跡を残す歴史的丘陵であることが明らかになった。江戸時代には**上野沼田藩土岐家の下屋敷**が置かれ、明治期以降は**華頂宮家の本邸**として日本橋から移転し、大正13年(1924年)に華頂宮博忠王の薨去により宮家が断絶するまで皇族の邸宅として使用された。その後は内大臣邸となり、昭和8年(1933年)に建物が解体、昭和20年(1945年)の空襲で庭園も焼失した。昭和27年(1952年)11月3日に港区立亀塚公園として開園し、現在は都心の静かな緑地として市民に親しまれて…