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妙覚寺
京都府
創建
1378
種別
寺院
基本情報
寺院
創建 1378
648年目
御祭神・御本尊
三宝尊
宗派
日蓮宗
ご利益
厄除け・災難除け
浄化・お祓い
極楽往生
災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「三宝尊」のご神徳に由来
概要
永和4年(1378年)に日実上人が四条大宮に創建した日蓮宗の本山で、のちに現在の西陣に移転した。織田信長が京都滞在時に宿所として20回以上利用したことで知られ、本能寺の変の際に嫡男・信忠がこの寺から二条御所に移って討ち死にした。大門は豊臣秀吉が聚楽第の裏門を移築したもので、桃山時代の豪壮な建築を今に伝える。庭園「法姿園」は苔と紅葉の調和が美しく、秋の特別拝観では多くの参拝者を集める。千利休が茶会を開いた記録も残り、茶道との深い縁を持つ。西陣の町家が立ち並ぶ一角にあり、京都の日蓮宗寺院の中でも特に歴史的な重みのある寺院である。
由緒
永和4年(1378年)、日実上人によって四条大宮に創建された日蓮宗の本山寺院である。創建後しばらくして現在地である西陣に移転したとされる。戦国時代には織田信長が京都滞在の宿所として20回以上利用したことが知られ、当寺は政治・軍事の表舞台とも深く関わった。天正10年(1582年)の本能寺の変に際しては、信長の嫡男・信忠がこの寺を拠点としていたが、変報を受けて二条御所へ移り、そこで討ち死にした。桃山時代には豊臣秀吉が聚楽第の裏門をこの寺に移築したと伝わり、現存する大門はその遺構として桃山建築の豪壮な様式を伝える。千利休がこの地で茶会を開いた記録も残り、茶道文化との縁も深い。近世以降は西陣の町中に根…
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織田信長とのつながり
信長は上洛の際にこの妙覚寺を宿所として20回以上利用した。天正10年(1582年)6月1日も信長はここに宿泊していたが、翌2日未明に本能寺に移動したところを明智光秀に急襲された。信長の嫡男・信忠はこの妙覚寺で変を知り、二条御所に移って最後の抵抗を試みたが討ち死にした。
豊臣秀吉とのつながり
豊臣秀吉が聚楽第を建設した際、その裏門を妙覚寺に移築して寄進した。現存する妙覚寺の大門はこの聚楽第の遺構とされ、桃山時代の豪壮な建築を今に伝える貴重な遺物である。

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