10世紀以前の創建と伝わる名古屋市中区橘の古社で、天太玉命を主祭神、品陀和気命(応神天皇)・天照皇大神を配祀する愛知郡日置村の氏神。近世まで「八幡宮」「日置八幡宮」と呼ばれ、江戸中期に国学者・**天野信景**が『延喜式神名帳』の日置神社に比定して式内社格を得た。**永禄3年(1560年)5月19日、織田信長が桶狭間の戦い出陣の朝、清洲城を早朝に出て当社に参詣し幸若舞『敦盛』を舞って戦勝祈願をしたのち熱田神宮を経て桶狭間へと向かった**と伝わる信長桶狭間の重要拠点。戦勝後、信長は報賽として神域に**松樹千本を植樹**し、以後「**千本松日置八幡宮**」の別名で全国に知られた。明治29年(1896年)に千本松の最後の1本が枯れるまで、信長お手植えの松が400年近く残っていた。昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で戦災を被ったが戦後復興し、1907年には神饌幣帛料供進神社に指定された。信長の桶…