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鹿児島中央駅からバス「南洲公園入口」下車徒歩5分
鹿児島県鹿児島市上竜尾町2-1
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西南戦争(1877年)で戦死した薩軍将兵2,023名が眠る墓地で、中央に西郷隆盛の墓がある。鹿児島市上竜尾町の丘陵地に位置し、桜島を望む見晴らしの良い場所に薩軍戦没者が整然と並ぶ。西郷の墓は最も大きく、隣には桐野利秋・篠原国幹など幹部の墓も並ぶ。敷地内の南洲神社には西郷を祭神として祀る。西郷が遺した「南洲翁遺訓」の精神を今に伝え、鹿児島県民にとって特別な聖地。毎年9月24日の命日には多くの人々が集い慰霊祭が行われる。
南洲墓地は、1877年(明治10年)に勃発した西南戦争の終結後、薩摩軍の戦没者を葬るために設けられた墓地である。西南戦争は西郷隆盛を盟主とする士族反乱であり、同年9月24日に城山での最後の戦闘をもって終結した。戦後、薩軍将兵の遺体は当初各地に埋葬されたが、地元有志らの尽力により鹿児島市上竜尾町の丘陵地に改葬・集約され、2,023名の墓碑が整然と並ぶ現在の形が整えられた。中央に置かれた西郷隆盛の墓は最も大きく、近傍には桐野利秋・篠原国幹ら幹部の墓も配置されている。明治期以降、西郷への顕彰気運が高まる中、墓地に隣接して南洲神社が創建され、西郷隆盛を祭神として祀るようになった。毎年9月24日の命日に…
大久保利通は西南戦争(1877年)で盟友・西郷隆盛が薩軍を率いて政府に叛旗を翻したことに苦悩しながら鎮圧を命じた。翌明治11年(1878年)5月14日、大久保自身も紀尾井坂で暗殺された。幼馴染として育ち、共に明治維新を成し遂げながら対立した二人の悲劇的な関係はこの南洲墓地で今も語り継がれる。
西南戦争で戦死した薩軍将兵2,023名と共に眠る西郷の墓。「敬天愛人」の精神を貫いた生涯の終着点。隣接する南洲神社では西郷を祭神として祀り、今も鹿児島県民の心の拠り所となっている。
西南戦争後、大久保は盟友・西郷の死を深く悼んだとされる。幼馴染として育ち、共に維新を成し遂げながら敵味方に分かれた二人の悲劇は、この墓地で今も静かに語り継がれている。
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