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二条城
二条城
京都府
創建
1603
種別
アクセス
地下鉄東西線「二条城前」駅すぐ
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
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基本情報
創建 1603
423年目
概要
慶長8年(1603年)に徳川家康が将軍就任の年に築いた世界遺産の城郭。二の丸御殿(国宝)の「鶯張り」廊下と狩野探幽一門による大規模な障壁画は桃山・江戸絵画の粋。慶応3年(1867年)に第15代将軍徳川慶喜が大政奉還を宣言した歴史的舞台でもある。現在は二の丸庭園・東南隅櫓など遺構が保存される市民の憩いの場であり、春の桜と梅の名所としても知られ、年間を通じて多くの国内外の観光客が訪れる京都中心部の世界遺産城跡。
由緒
慶長8年(1603年)、徳川家康が京都御所の守護と上洛時の宿泊所として築城。慶長16年(1611年)家康と豊臣秀頼の会見が行われた。寛永3年(1626年)三代将軍家光が後水尾天皇の行幸に合わせ大改修。慶応3年(1867年)十五代将軍慶喜がこの二の丸御殿で大政奉還を宣言した。世界文化遺産。

関連する歴史的事件
1

1867
大政奉還
1867年(慶応3年)10月14日、15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上した歴史的出来事。二条城で行われた諸侯会議でこの決定が示され、翌15日に朝廷が勅許した。慶喜は新政府においても主導権を維持しようとしたが、同年12月の王政復古の大号令で慶喜の政治的立場は剥奪された。大政奉還は血を流さずして幕府を解体しようとした慶喜の政治的判断であり、土佐藩の後藤象二郎・坂本龍馬らの建白書が背景にあった。翌年の鳥羽・伏見の戦いで倒幕・維新は武力によって完成した。
もっと詳しく →
豊臣秀吉とのつながり
二条城が建てられる以前、この付近には秀吉が関白として権力を示すために建設した「二条第(にじょうてい)」があり、後陽成天皇の行幸も実現した。現在の二条城は家康が秀吉の上洛施設を踏まえて築いた権威の城で、豊臣から徳川への権力移行を象徴する地である。
織田信長とのつながり
天正元年(1573年)、信長は将軍・足利義昭を京都から追放したが、それ以前に義昭のために二条城(旧二条城)を築いていた。この旧二条城こそが信長の京都支配の拠点であり、現在の二条城とは別の場所に存在した。

ゆかりの人物
2

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