創建は紀元前後ないし古墳時代頃とも伝わり、日本武尊(ヤマトタケル)の東征に際して妃・弟橘媛命が暴風雨を鎮めるため相模湾に身を投じた後、その遺品の御櫛が当地・山西の浜に漂着したことを契機に祀られたとされる。「吾妻」の地名は、東征の帰路にヤマトタケルが東方を振り返り「ああ、吾が妻よ」と嘆いたことに由来すると伝えられ、古代より霊地として崇敬を集めてきた。中世には相模の武士団からも信仰を受けたとされるが、詳細な史料は乏しい。近世に入ると吾妻山一帯は風光明媚な景勝地として広く知られるようになり、江戸時代の儒学者・貝原益軒(1630〜1714年)が旅行記にその眺望を記録している。明治以降は近代社格制度のも…