養老2年(718年)の創建と伝わる古社で、延喜式神名帳では大社に列せられた。山城・摂津・河内三国が接する天下分け目の地・山崎に鎮座し、古代より交通の要衝として重要な祭祀の場であった。天正10年(1582年)6月、羽柴秀吉は本能寺の変後に「中国大返し」で引き返し、山崎合戦で明智光秀と激突した。その前夜に秀吉は当社に戦勝を祈願したと伝わり、神助を得て大勝したとされる。この合戦の勝利により秀吉は信長の後継者としての地位を固め、後の豊臣政権樹立への道を開いた。近世以降も大山崎の鎮守として地域住民の崇敬を受け続け、現在に至る。