平安京の造営(延暦13年・794年)と同時に建立された。平安京の都城制に基づき、東の東寺・西の西寺と共に都の南端を守る三点セットとして機能した。正式名称は「羅城門」だが、平安末期には「羅生門」とも書かれるようになり、芥川の作品タイトルはこの表記を用いている。平安中期から後期にかけて、中央の政治機能が衰えるにつれて羅城門は管理されなくなり、大正元年(1103年)頃には西の柱が倒れ、楼の荒廃が進んだとされる。鎌倉時代以降は廃絶し、現地には「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」などの説話にも登場する廃虚として記録が残る。芥川が『羅生門』を執筆した際、主な典拠は『今昔物語集』巻二十九「羅城門の上の層に登りて…