兵庫県神戸市東灘区御影本町に位置する浄土真宗本願寺派の寺院。山号は「影松山(かげまつやま)」で、境内に伝わる古名勝「御影の松」に由来する。寛政10年(1798年)、「法然上人の再来」と称された江戸時代の念仏行者・徳本上人(1758〜1818年)が、住吉村の名士・吉田喜平次の請によって創建した。本尊は阿弥陀如来。境内には、古来より摂津の名松として知られ、平家物語・源平盛衰記などの軍記物にも登場する「御影の松」を詠んだ二首の歌碑と二代目の松が残る(初代の松は明治27年頃に枯死)。御影地区は源平の争乱(一の谷の戦い周辺)の舞台となった歴史的地域でもあり、山号「影松山」は土地の記憶を今に伝える。阪神電車御影駅から北へ徒歩約4分。
西方寺が建つ御影(みかげ)の地は、古来より「御影の松」という名松で知られた景勝地であった。この松は平安時代末期の源平の争乱(12世紀末)において、平家物語・源平盛衰記などの軍記物語に「雀の松原・御影」として登場する戦場周辺の名所であり、東灘一帯が一の谷の戦い(1184年)にかかわる軍事的要衝であったことと深く結びついている。
江戸時代後期に入り、寛政10年(1798年)、念仏行者・徳本上人(1758〜1818年)がこの地に西方寺を創建した。徳本上人は紀伊国日高郡(現・和歌山県日高町)の出身で、草庵に籠もり一日一合の食事で只管念仏に励んだのち、寛政6年(1794年)から全国行脚を開始し「流行神」…