吉祥寺の「吉祥」の名は、仏縁の吉き兆しを意味すると同時に、功徳・美・豊穣を司る吉祥天女への信仰とも深く結びついているとされる。元禄赤穂事件(1703年)において四十七士が吉良邸への討ち入りを果たした後、義士たちは各大名屋敷に預けられ、一部は大阪を経由して移送された。天王寺区はこの時代から諸寺院が集積する地域であり、義士ゆかりの縁起を持つ寺として吉祥寺は江戸の人々の尊崇を集めてきたと伝わる。赤穂義士への崇敬心は江戸時代を通じて庶民の間に広がり、義士ゆかりの寺院は全国で信仰を集めた。摂津国八十八箇所霊場は文化年間(1804〜1818年)頃に整備が確定し、吉祥寺は第31番札所として天王寺の寺院群を巡…