宝永7年(1710年)、6代将軍徳川家宣の代に儒学者・新井白石の建議により朝鮮通信使の来訪に備えて国威発揚のために築造された江戸城外郭門の跡で、現在の中央区銀座8丁目・新橋橋詰め付近(旧東海道・中央通り上)に高麗門・渡櫓・隅櫓を備えた壮麗な枡形門が構えられた。東海道を江戸市中へ迎え入れる南の玄関口として、朝鮮通信使一行を将軍家の威光を示しつつ迎える儀礼空間となり、新井白石の正徳の治における外交刷新の象徴となった。しかし享保9年(1724年)に火災で焼失し以後再建されず、石垣も撤去された短命の門。昭和52年(1977年)10月に中央区教育委員会が記念碑を建立し、銀座と新橋をつなぐ中央通りの一角で江戸外交史の一幕を今に伝える。