正岡子規(1867〜1902年)は愛媛県松山市に生まれ、明治時代における俳句・短歌の近代化に大きく貢献した文学者である。東京帝国大学在学中から俳句・短歌の革新運動を精力的に推進し、「写生」を基本理念とする近代俳句の礎を築いた。1895年(明治28年)の日清戦争従軍後に結核が悪化し、以後は病床に伏しながらも旺盛な執筆・編集活動を続けた。「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」をはじめとする数多くの名句を残し、1902年(明治35年)に35歳で没した。その生涯と業績を顕彰するため、松山市は道後公園に隣接する地に文学博物館の建設を計画し、1981年(昭和56年)に松山市立子規記念博物館を開館した。開館以来…