下野市に所在する下野薬師寺跡は、奈良時代の三戒壇の一つとして知られる国の史跡。
天武天皇の時代(680年頃)に建立され、東国の仏教教化の中心であった。
日本三戒壇(東大寺・観世音寺・下野薬師寺)の一つとして、僧侶の受戒が行われた。
道鏡が左遷されて別当を務めたことでも知られ、奈良時代の政治史と深く関わる。
発掘調査により回廊・金堂・塔の基壇が確認され、壮大な伽藍配置が判明。
回廊跡は復元表示され、往時のスケールを実感できる。
下野薬師寺歴史館で出土品の展示を見学でき、古代の寺院文化を学べる。
天平の丘公園・国分寺跡と合わせた古代下野の歴史散策コースの一つ。
安国寺が後継寺院として現在も隣接して存続している。
奈良時代の東国仏教文化の頂点を示す、学術的にも極めて重要な遺跡。
下野薬師寺の創建は天武天皇の時代(7世紀後半)とされ、東国最古の寺院の一つ。
律令国家の仏教政策により、東国の僧尼の戒律を授ける戒壇が設置された。
日本三戒壇として、東大寺(大和)、観世音寺(筑紫)と並ぶ格式を持った。
天平宝字8年(764年)、藤原仲麻呂の乱後に道鏡が下野薬師寺別当に左遷された。
道鏡の左遷は称徳天皇崩御後の政変を物語り、奈良時代の政治史の重要な事件。
平安時代以降は戒壇としての機能を失い、次第に衰退した。
中世には荒廃が進んだが、安国寺として一部が再興された。
江戸時代には農地化が進み、遺構は地中に埋もれた。
明治時代に学術調査が開始され、寺域の範囲が確認された。
昭和41…