文禄元年(1592年)に小田原藩主・**大久保忠世**(1532-1594年、徳川家康の旗本「徳川十六神将」の一人)の開基により**相模国小田原**で創建された法華宗陣門流の寺院で、寛永7年(1630年)に江戸下谷へ移転、さらに明治37年(1904年)に現在の北区田端の地へ再移転した大久保家の菩提寺。山号は長松山。忠世は戦国期の姉川・三方ヶ原・長篠・小牧長久手など主要合戦に従軍した徳川四天王級の重臣で、関ヶ原後は小田原4万5千石の藩主となり、家康の関東経営の要となった人物。忠世の子・**大久保忠職**の代に改易により石川家に養子入りしたことから、江戸中期以降は**大久保家と石川家両家の菩提寺**として機能し、両家の墓所が境内に並ぶ。徳川初期の重臣の系譜と石川家の系譜が同居する田端の古刹で、近隣の大龍寺(正岡子規墓)と合わせて田端〜西日暮里エリアの歴史散策の見どころ。