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適塾(緒方洪庵旧宅)
適塾(緒方洪庵旧宅)
大阪府
創建
1845
種別
史跡
アクセス
京阪淀屋橋駅より徒歩5分、Osaka Metro淀屋橋駅より徒歩5分
大阪府大阪市中央区北浜3-3-8
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基本情報
史跡
創建 1845
181年目
開基・創建者
緒方洪庵(1810-1863)
概要
大阪市中央区北浜に現存する、蘭方医・緒方洪庵(1810-1863)が主宰した蘭学塾「適々斎塾(適塾)」の塾舎兼住居。国指定史跡・重要文化財。洪庵は天保9年(1838年)に大坂瓦町で適塾を開き、弘化2年(1845年)に過書町(現・北浜3丁目)の商家を購入して移転、以後18年間この地で塾を運営した。1階は洪庵家族の生活空間、2階が塾生の大部屋で、中央に「ヅーフ部屋」と呼ばれるヅーフ蘭和辞書閲覧室があり、塾生は昼夜を問わず蘭書を奪い合うように読んだ。幕末から明治初期にかけて福澤諭吉(慶應義塾創設者)、大村益次郎(日本陸軍の父)、橋本左内、佐野常民(日本赤十字社創設者)、箕作秋坪、長与専斎、高峰譲吉など日本近代化を担う約千名の俊才を輩出し、日本の近代医学・軍事・科学・教育の源流となった。日本唯一現存する蘭学塾の遺構で、1964年に国重要文化財指定、1980年より大阪大学適塾記念センター管理のもと一…
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由緒
天保9年(1838年)緒方洪庵が大坂瓦町で蘭学塾「適々斎塾」を開き、弘化2年(1845年)過書町の商家を買い取り移転。文久2年(1862年)洪庵の幕命出府までの18年間、この地で蘭学・医学・兵学を教授した。福澤諭吉・大村益次郎・橋本左内・佐野常民・長与専斎・高峰譲吉など約千名の門人を輩出。1964年国重要文化財指定、1980年より一般公開。
緒方洪庵とのつながり
緒方洪庵(文化7年・1810年 - 文久3年・1863年)は備中国足守藩士の子として生まれ、江戸で坪井信道に蘭学を学んだのち、天保9年(1838年)大坂瓦町で蘭学塾を開いた。弘化2年(1845年)に過書町(現・北浜3丁目)の商家を買い取り塾舎兼住居として移転、以後18年間この地で医学・蘭学の教育に専心した。自らは天然痘種痘の普及に尽力、安政5年(1858年)の大坂コレラ流行時には『虎狼痢治準』を著して治療法を広めるなど、公衆衛生の父とも呼ばれる。文久2年(1862年)幕命により江戸に出て奥医師・西洋医学所頭取を兼務したが翌年急逝。適塾から巣立った門人は千名を超え、日本近代化の人材供給源となった。
福沢諭吉とのつながり
福澤諭吉は安政2年(1855年)、22歳で大坂の適塾に入門し緒方洪庵に師事した。翌年、兄の死を機に一度中津に帰るが間もなく再び入塾、安政4年(1857年)には塾頭を務めるまでになり、塾生の筆頭として蘭書の講読・翻訳に打ち込んだ。『福翁自伝』には適塾時代の苛烈な学究生活が生き生きと描かれ、「ヅーフ部屋で夜を徹して辞書を引き、疲れれば枕代わりの辞書の上で寝た」「食うや食わずで蘭書にかじりついた」との回想は有名。安政5年(1858年)、蘭学塾の講師として江戸中津藩邸に招かれたのが後の慶應義塾の原点となった。適塾での学究精神が福澤の「独立自尊」の思想を育み、日本近代教育の礎を築いた。
大村益次郎とのつながり
大村益次郎(文政7年・1824年 - 明治2年・1869年)は長州周防の村医の子として生まれ、嘉永6年(1853年)適塾に入門し塾頭を務めた。緒方洪庵の下で蘭学・医学・兵学を修め、漢訳蘭書を渉猟して近代軍事学の知識を吸収した。宇和島藩・幕府・長州藩に仕え、戊辰戦争では討幕軍総司令官として彰義隊を打破、会津戦役を指揮し新政府軍勝利の立役者となる。明治2年(1869年)兵部大輔に就任し日本陸軍の基礎を築いたが、同年9月京都木屋町で襲撃され重傷、11月に没した。「日本陸軍の父」「殖産興業の先駆者」と讃えられる。適塾で培った蘭学知識と論理的思考が、近代日本の軍制改革を可能にした。

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