天智天皇山科陵は、天智天皇(626〜672年)が崩御した翌年にあたる672年頃に造営されたと伝わる御陵である。天智天皇は中大兄皇子として大化の改新(645年)を主導し、近江大津宮に都を定めた古代日本の英主であった。御陵は山科盆地北東の御陵山と呼ばれる丘陵上に築かれ、上円下方墳という独特の墳形を持つ。これは古墳時代末期から飛鳥時代にかけて用いられた形式であり、古代天皇陵の貴重な遺構として現代に伝わる。中世から近世にかけては荒廃・管理の変遷があったとされるが、詳細は判然としない。近世後期、江戸幕府および朝廷による陵墓整備が進む中、山科陵もその対象となり、文久年間(1861〜1864年)に実施された…