正式名を「法華長講弥陀三昧堂」という。寿永2年(1183)、後白河法皇(1127-1192)が六条西洞院の平業忠邸に移った際、御所内の持仏堂として建立し「長講堂」と名づけた。法皇はこの堂に各地の荘園を寄進し、その所領群は「長講堂領」と呼ばれて皇室経済を支えた。法皇は晩年これを娘の覲子内親王に譲り、のち後深草天皇に始まる持明院統が長講堂領を継承して同統の重要な経済基盤となった。堂はたびたびの火災で焼失・再建を繰り返し、天正16年(1588)には豊臣秀吉の京都改造に伴い現在地へ移転。現在の建物の多くは元治元年(1864)の禁門の変による焼失後に再建されたもので、御影堂には後白河法皇像が安置されてい…