彰義隊は、鳥羽・伏見の戦いに敗れて東叡山寛永寺に謹慎した15代将軍・徳川慶喜を護衛するため、慶応4年(1868年)に旧幕臣らが結成した部隊である。新政府軍は同年5月15日に上野を包囲して総攻撃を仕掛け(上野戦争)、アームストロング砲など最新兵器を擁する政府軍を前に彰義隊は一日で壊滅し、寛永寺の堂宇の多くが焼失した。戦後、上野の山に放置された数百の遺体は、南千住・円通寺の住職らによって火葬されたと伝わる。明治7年(1874年)、生き残った隊士らが新政府の許可を得て当地に墓所を整え、明治14年(1881年)には旧幕臣・山岡鉄舟の揮毫による「戦死之墓」の墓碑が建立された。現在は東京都指定旧跡として、…