明暦3年(1657年)に江戸幕府大御番を務めた伴五兵衛の祖先・伴右兵衛(法名: 陽泉寺殿心翁道安居士)を開基として創建された曹洞宗の寺院。山号は萬輝山。牛込の保善寺を本寺として開かれ、雲高秀呑和尚を勧請開山に迎えた。赤坂の溜池山王エリア、アメリカ大使館公邸の近くという都心一等地に位置しながら、参道脇の大木が緑陰を作る静寂な境内を保つ。本堂は仏殿様式の端正な佇まいで、堂前には幕末の国学者・大國隆正の墓が残る。大國隆正は石見国津和野藩士にして平田篤胤門下の碩学で、尊皇思想を唱え明治維新後は神祇事務局権判事・宣教師御用掛などを歴任、著書は百余種に及ぶ。贈従四位。かつては西方三十三所観音霊場の第6番札所としても知られ、江戸市中の巡礼路の一翼を担った。明暦の大火の年に創建された寺として、江戸復興期の信仰と開発の歴史を今に伝える。
明暦3年(1657年)、明暦の大火(振袖火事)により江戸の大半が焼失した年に創建された。開基の伴右兵衛(元和8年〈1622年〉没)は江戸幕府の大御番(将軍直属の警護兵)を務めた伴五兵衛の祖先で、法名の「陽泉寺殿心翁道安居士」がそのまま寺号となった。牛込の曹洞宗寺院・保善寺の末寺として開かれ、雲高秀呑和尚(寛文5年〈1665年〉寂)を勧請開山として迎えた。
江戸時代を通じて赤坂霊南坂一帯の菩提寺として武家層の帰依を受けた。門前には「ねぶと町」と呼ばれる町家があり、「西側南北に表間十二間裏幅同断、東西に奥行七間」と記録され、門前町としての賑わいを偲ばせる。また西方三十三所観音霊場の第6番札所とし…