大元宮は文明16年(1484年)、吉田神社の神職・吉田兼倶が吉田神道の根本殿堂として吉田山中腹に創建した。兼倶は独自の神道理論である唯一神道(吉田神道)を大成し、全国の天津神・国津神を一堂に祀るこの社を、その思想的中核に位置づけた。八角形の本殿は天地八方を象徴するとされ、背後に六角形の後房を備える独特の構造を持つ。室町後期から江戸時代にかけて吉田神道は朝廷や幕府から権威を認められ、大元宮もその象徴的拠点として重視された。明治初期の神仏分離・廃仏毀釈の波を経ながらも社殿は維持され、近代以降も吉田神社の摂社として信仰を集めてきた。現在の社殿は創建当初の形式を伝えると考えられており、重要文化財に指定…