貞観元年(859年)、藤原冬嗣の孫・藤原山蔭が一族の守護神として奈良・春日大社の四座(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売大神)を吉田山に勧請して創建した、藤原氏ゆかりの古社。室町時代の神道家・吉田兼倶は「唯一宗源神道(吉田神道)」を大成し、神宮寺を廃して神道の純粋性を主張することで朝廷や有力大名の支持を集め、全国の神社・神職を統轄する神道界の権威となった。江戸幕府もこの権威を公認し、吉田家は長らく日本の神道界を主導した。現在最も知られるのは2月2〜4日の節分祭で、京都最大の節分行事として約50万人もの参拝者が訪れる。「追儺式(鬼やらい)」の神事や「火炉祭」では古式ゆかしい行事が厳かに執り行われ、古来の神事の形式を色濃く残す。境内は吉田山の豊かな緑に包まれ、末社群には日本全国八百万の神を祀る大元宮があり、六角形の独特な社殿は室町時代の建築様式を今に伝える。
貞観元年(859年)、藤原北家の藤原山蔭が一族の氏神として、大和国・春日大社に祀られる四座(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売大神)を吉田山に勧請し創建した。以来、藤原氏の氏社として篤い崇敬を受けた。室町時代には神道家・吉田兼倶(1435〜1511年)が当社を拠点として「唯一宗源神道(吉田神道)」を大成し、仏教的要素を排して神道の純粋性を主張。朝廷や有力大名の支持を集め、全国の神社・神職を統轄する権威を確立した。近世に入ると江戸幕府もこの権威を公認し、吉田家は長らく日本の神道界を主導する立場を保った。明治維新後は神仏分離令に伴い社殿や境内の整備が進められた。境内の大元宮は室町時代の建築様式を…