和田義盛は三浦半島の武士団・三浦一族の一員として生まれ、源頼朝の挙兵(1180年)にいち早く呼応した功臣のひとりです。鎌倉幕府成立後は侍所の初代別当(長官)に任じられ、幕府の武力的基盤を支えました。豪快な武人として知られる一方、信仰心も篤く、安楽寺に薬師如来を祀って日々の祈願を怠らなかったと伝えられています。
安楽寺が建てられた三浦市の地は、和田一族の勢力圏の中心でした。寺院の建立は単なる宗教的行為にとどまらず、一族の威信を示し、配下の武士や農民を精神的に統率する政治的意味合いをも持っていました。先達の精神が息づいています——武士が仏に手を合わせる姿の中に、剣と祈りが分かちがたく結びついた武家文化の本質が見えてきます。
1213年、和田義盛は北条義時との政争に敗れ、和田合戦で一族ともに滅亡しました。その後、安楽寺は和田一族の庇護者を失い、やがて廃寺となりましたが、護持仏であった薬師如来像は天養院へと丁重に遷座され、現在も神奈川県指定重要文化財として大切に守られています。
鶴岡八幡宮楼門(鎌倉市)。御家人たちが誓願を立てた鎌倉武士信仰の中心地。Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / photo by Author