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将軍の二日酔いを茶で治した僧侶——栄西と日本の茶の始まり
1214年、三代将軍・源実朝が宴会で飲みすぎて体調不良になったとき、栄西は茶とともに「喫茶養生記」を献上した。「茶は養生の仙薬」——この一幕が、日本に茶文化が広まるきっかけの一つとなった。宋から禅と茶を持ち帰った冒険的な僧侶・栄西の物語を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
栄西の二度の渡宋
日本での茶の普及
臨済禅の伝来
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
建仁寺(京都)——栄西が開山した日本最古の禅寺の一つ。禅と茶文化が出会った場所
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
「二日酔いに効く薬を持ってきた」と言って将軍のもとを訪ねたお坊さんがいました。しかも持ってきたのは薬ではなく「お茶」でした。
**明菴栄西(みょうあんえいさい、1141-1215年)**は、現在の日本の禅宗と茶文化の基礎を作った人物です。
栄西の二度の渡宋
栄西は1168年と1187年の二度にわたって宋(中国)に渡りました。当時の渡宋は命がけの航海で、嵐や海賊の危険がありました。
1度目は主に仏教の学習のため。2度目は禅宗(臨済宗)の修行のためで、宋で高僧・虚庵懐敞(こあんえじょう)のもとで印可(修行の証明)を受けました。
帰国の際、栄西が持ち帰ったものの中に「茶の種」がありました。
茶の湯——栄西が伝えた茶は禅の修行から始まり、やがて千利休のわび茶へと発展した
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
日本での茶の普及
帰国後の栄西は、茶を仏教の修行に役立てました。禅の修行では長時間の座禅が必要ですが、眠気を覚ます効果のある茶は修行者にとって理想的な飲み物でした。
1211年に著した「喫茶養生記(きっさようじょうき)」は日本最古のお茶に関する書物で、「茶は養生の仙薬、延齢(長生き)の妙術なり」と書かれています。
将軍・実朝への献上
1214年のある日、三代将軍・源実朝が前夜の宴の飲みすぎで体調不良でした。このとき栄西は茶と喫茶養生記を実朝に献上し、その薬効を説明しました。
実朝が茶を飲んで回復したという逸話が広まり、これが「武家社会での茶の普及」の大きなきっかけの一つになったとされています。
臨済禅の伝来
建長寺(鎌倉)——禅宗が鎌倉幕府の庇護のもとで発展した拠点。栄西が開いた禅の流れを受け継ぐ鎌倉五山第一位
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
栄西が日本にもたらしたのは茶だけではありません。禅宗(臨済宗)の正式な伝来者として、栄西は日本の宗教史に大きな足跡を残しました。
既存の仏教勢力(比叡山・奈良の仏教)からは「禅は国を傾ける」と激しく批判されましたが、栄西は幕府(源頼朝・北条氏)の支持を得て、禅を根付かせることに成功しました。
ゆかりの地を訪ねよう
栄西が開山した建仁寺(京都市東山区)は日本最古の禅寺の一つとされています(建長寺は鎌倉最古の禅専門道場)。
建長寺(鎌倉市)も禅と茶文化を感じられる重要なスポットです。
栄西のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
日本に茶が伝わったのは栄西が最初なの?
栄西より前にも遣唐使の時代に茶が伝わったとする記録がありますが、定着しませんでした。栄西の時代に初めて「禅の修行」「健康飲料」として広まり、その後に茶道へと発展しました。
「臨済宗」と「曹洞宗」は何が違うの?
どちらも禅宗の一派ですが、悟りへのアプローチが異なります。臨済宗(栄西)は「公案(問答)」を重視し、曹洞宗(道元)は「只管打坐(ひたすら座禅)」を重視します。
最終更新日:2026年6月2日
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