北条高時が自害した東勝寺は現在の鎌倉市小町3丁目付近にあったとされるが、建物は残っておらず「東勝寺橋」という橋名と案内板のみが存在する。付近の「腹切りやぐら」と呼ばれる岩窟が北条一族自害の地と伝わり、現在も参拝・見学ができる。鶴岡八幡宮から徒歩約15分。
新田義貞が鎌倉を攻める際、三方を山に囲まれた鎌倉の防衛線を突破できず行き詰まった。そこで義貞が稲村ヶ崎(現在の鎌倉市稲村ガ崎)の海に金剣を奉じると潮が引き、軍勢が浜伝いに鎌倉へ突入できたという伝説。歴史的には大潮による干潮で岩場が露出した可能性が高いとされている。稲村ヶ崎は現在も公園として整備されており、江ノ島を望む景勝地となっている。
1333年の鎌倉攻略後、新田義貞は後醍醐天皇の建武の新政で活躍したが、足利尊氏と対立。南北朝の争いの中で南朝方として戦い続け、1338年(延元3年)に越前国(現在の福井県)藤島で戦死した。享年39。鎌倉を陥落させた英雄は、わずか5年後に戦場で散る波乱の生涯だった。
建長寺が1253年(建長5年)創建で先。円覚寺は1282年(弘安5年)創建で約30年後。建長寺が第5代執権・北条時頼の創建であるのに対し、円覚寺は第8代執権・北条時宗の創建で、元寇(1274年・1281年)の後に戦没者を弔う目的があった。どちらも北条氏の崇敬を受けた鎌倉五山の筆頭寺院で、北鎌倉で並んで参拝できる。