「北条早雲」と「伊勢宗瑞」のどちらが正しい呼び方?
生前は「伊勢盛時」(本名)、出家後は「伊勢宗瑞」と称していました。「北条」を名乗るのは孫・氏康の代から。「北条早雲」は江戸期以降の通称で、歴史教科書ではいまも一般的ですが、学術的には「伊勢宗瑞」が正確です。
史料的には部分的な裏付けはありますが、領国全体で完全に実施されたかは諸説あります。当時の他大名の年貢率(五公五民〜七公三民)に比べれば低めの設定で、農民の支持を得るための画策と見られます。「家訓の精神」として後世に強調された側面が大きい可能性も。
早朝起床・身支度・神仏礼拝・書物読書・武芸鍛錬・勤勉な政務・嘘をつかない・酒に溺れない・人に施す——日常生活から心構えまでの二十一条。江戸期に武士道書として広く読まれ、二宮尊徳ら近世の思想家にも影響を与えました。原文は早雲寺・神奈川県立博物館などで閲覧可能。
早雲の出自が「伊勢氏という幕府名門」であることは現在の歴史学では定説です。ただし「伊勢氏」が複数あり、早雲がどの分家に属するかは諸説残ります。いずれにせよ、京の文化政治の中枢にいた知識人だった点は確かです。
伊豆の国市の韮山城跡は早雲の伊豆支配の本拠で、晩年〜死去の地。沼津市の興国寺城は独立の出発点。両城跡とも国指定史跡として整備されており、早雲の生涯を辿るなら小田原城・早雲寺とセットで巡る2〜3日コースが理想です。