三成は行政官として優れた能力を持つ一方、融通の利かない頑固さと対人関係の不器用さが武将仲間からの反感を招きました。加藤清正・福島正則ら武闘派とは朝鮮出兵以来対立が続き、関ヶ原では多くの豊臣系武将が東軍に付きました。しかし近年の研究では、行政官・思想家としての三成の能力が再評価されています。
関ヶ原の戦いはどのくらいの時間で決着したのですか?
通説では戦闘開始から決着まで約6時間とされています。1600年9月15日(旧暦)の朝に始まり、小早川秀秋の裏切りをきっかけに昼過ぎには東軍の勝利が確定しました。この一日が日本の歴史を大きく変えました。
三成が貫いた「義」とは、豊臣秀吉から預かった天下(豊臣家の存続)を守るという使命感です。私利私欲のためでなく、主君への忠義と豊臣政権の存続を守るために関ヶ原に臨んだ三成の姿は、「負けると分かっていても義のために戦う」武士道の理想として後世に語り継がれています。