しかし父・後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企てると、護良親王の運命は大きく変わります。
護良は僧の身分を捨てて還俗(げんぞく、僧をやめて俗人に戻ること)し、武将として倒幕戦に身を投じました。
吉野・熊野・南伊勢などの険しい山岳地帯を拠点に、幕府の大軍を相手にゲリラ戦を展開しました。山の地形を活かした神出鬼没の戦いで、幕府軍を苦しめました。
さらに護良は、全国の武士に「令旨(りょうじ)」(倒幕を命じる文書)を発し、各地での蜂起を促しました。護良の精力的な活動は、楠木正成らの抵抗とともに、鎌倉幕府崩壊の大きな原動力となりました。