「父と弟が遠島に流されているのに、自分だけが京に残るのは耐えられない」という家族への連帯感から、土御門院は自発的に流刑を選びました。乱に無関係で処分免除されようとしていた点を考えると、極めて稀な道徳的選択。日本史で類例が少ない事例です。
天皇の在位中の名は「土御門天皇」、退位後は「土御門上皇」、諡(おくりな)は「土御門院」。「土御門」は彼の御所が京都の土御門大路にあったことに由来。同名の摂関家・土御門家とは別系統で、混同しやすいので注意。
土佐(現高知県)は京から見て山陽・四国を経由し最遠の地で、流刑地としては過酷すぎると判断されたため。阿波(現徳島県)は京から比較的近く、瀬戸内海路でアクセス容易な地。幕府の処分の苛烈さは、当人の性格・関与度合いで調整されました。
幕府が順徳院系統を排除し、温和だった土御門院系統を選んだ象徴的事件。これ以後、皇統は土御門院系=持明院統(後の北朝)と亀山天皇系=大覚寺統(後の南朝)に分裂、南北朝時代の遠因となります。
徳島県三好市池田町には「土御門院御所跡」「池田御所」と伝わる地が複数あり、地元の歴史資料館で確認できます。観光地化はされていない素朴な伝承地で、流人天皇の最期の地を静かに偲べる場所です。