毘沙門天が「勝軍の仏」として武将に崇拝された歴史は、平安期の坂上田村麻呂(758〜811年)にさかのぼります。征夷大将軍として東北に遠征した田村麻呂は、毘沙門天の霊験によって蝦夷を討ったと伝えられ、岩手・平泉の達谷窟毘沙門堂(達谷窟毘沙門堂)を建立しました。岩肌に張り付くように建てられた堂宇は、武将の純粋な祈りの形そのものです。
戦国時代において毘沙門天信仰の象徴的存在となったのが、**上杉謙信(1530〜1578年)**です。謙信は自らを「毘沙門天の化身」と信じ、軍旗に「毘」の一字を染め抜きました。越後の春日山城(新潟県上越市)の毘沙門堂に日夜参籠し、「勝利は毘沙門天から授かるもの」という祈りを実践した謙信の姿は、武将の信仰の極致といえます。
謙信が川中島合戦などの激戦で勝利を重ねたことから、「毘沙門天に祈る者は負けない」という信仰が諸国の武将に広まりました。ただし謙信は財富よりも義を重んじた人物であり、毘沙門天への祈りも個人の武運というより「正義の戦いの加護」を求めるものであったとされています。
謙信の宿敵・**武田信玄(1521〜1573年)が旗印に「風林火山(疾如風・徐如林・侵掠如火・不動如山)」を用いたことは有名ですが、信玄もまた毘沙門天を信仰していました。信玄は臨済宗の寺院を保護しながらも、甲斐善光寺(山梨県甲府市)を崇敬し、毘沙門天の戦勝加護を祈願したとされています。
謙信は「毘沙門天の使者として正義を行う」、信玄は「強さと智謀による天下布武」という対比は、同じ毘沙門天信仰を持ちながら全く異なる祈りのあり方を示しています。先達の精神が息づいています——信仰とは祈る者の内なる志を映す鏡であることを、この二人の宿命的な対立が教えてくれます。