現在の大阪城(大阪市中央区)がその跡地です。大坂城内に石山本願寺の遺構は残っていませんが、大阪城歴史博物館で石山合戦に関する資料を見学できます。石山本願寺跡として地元に伝えられています。
一般の農民一揆が領主への抵抗を目的としたのに対し、一向一揆は浄土真宗の信仰を基盤とした宗教的結束が特徴です。「死ねば極楽」という信仰が恐怖心を超えさせ、通常の武力では屈服させにくい組織的抵抗を生み出しました。
10年の包囲戦で補給路を断たれ、さらに天皇の勅命という権威を前に和睦を選択しました。一部の強硬派は抵抗継続を望みましたが、顕如は宗教組織としての本願寺の存続を優先しました。
創立の系譜からは西本願寺(浄土真宗本願寺派)が本願寺の正統な継承者とされます。家康が分立させた東本願寺(真宗大谷派)は政治的に作られた別組織ですが、現在は両派とも独自に発展し、どちらも日本最大級の仏教教団です。
吉崎御坊(福井県あわら市)では一向一揆の発祥地を訪れることができます。西本願寺(京都市)では顕如時代からの歴史を伝える建築と宝物を見学でき、長島願証寺(三重県桑名市)は伊勢長島の虐殺の舞台です。