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山科本願寺跡
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山科本願寺跡
京都府
創建
1478
種別
史跡
アクセス
京都府京都市山科区西野山階町
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基本情報
史跡
創建 1478
548年目
概要
蓮如が応仁の乱後の文明10年(1478年)に京都山科に築いた本願寺の一大拠点。10年以上かけて建設され、大谷廟堂から移された親鸞の御影を本尊とした。一向宗の全国布教の中心となったが、天文元年(1532年)の天文法華の乱で日蓮宗徒と六角定頼の連合軍により焼き討ちに遭い壊滅。石山本願寺への本拠移転のきっかけとなった。現在は土塁の一部が「山科本願寺土塁跡」として残り、国指定史跡となっている。蓮如の御廟所も隣接しており、本願寺中興の祖の足跡を偲ぶことができる。
由緒
文明10年(1478年)、浄土真宗中興の祖・蓮如は、応仁の乱(1467〜1477年)で荒廃した京都に再興の地を求め、山科の地に本願寺の新たな拠点を築き始めた。造営には10年以上を要し、大谷廟堂から移された親鸞聖人の御影を本尊として安置。内寺内・外寺内・寺外を土塁と濠で囲った堅固な伽藍は、一向宗(浄土真宗)全国布教の中枢として機能し、全国から門徒が集まる一大宗教都市を形成したとされる。蓮如は文亀元年(1501年)に当地で没し、御廟所が境内に設けられた。しかし天文元年(1532年)、日蓮宗徒と近江守護・六角定頼の連合軍が蜂起した天文法華の乱において、山科本願寺は焼き討ちに遭い壊滅した。本拠はその後…
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蓮如とのつながり
文明10年(1478年)、吉崎から京都に戻った本願寺8世・蓮如は山科の地に本願寺再興を決意し、10年以上の歳月をかけて壮大な伽藍を築いた。寛正6年(1465年)に比叡山衆徒によって大谷本願寺が破却されて以来、流転を重ねてきた本願寺がここに恒久の本拠を得たのである。山科本願寺は土塁と堀で囲まれた巨大な寺内町を形成し、全国の一向宗門徒を統率する教団本部として機能。蓮如はここで「御文」の執筆と門徒組織の整備を進め、浄土真宗を日本最大の宗派へと押し上げる仕上げの仕事を行った。明応8年(1499年)、蓮如は85歳でこの山科本願寺で入寂。御廟所は現在も山科本願寺跡に隣接して残る。本願寺中興の祖・蓮如の生涯は、山科本願寺の完成によって結実したといえる。

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