慶応三年の大政奉還——二条城が歴史の転換点となった日
慶応三年(1867年)十月十五日、第十五代将軍徳川慶喜は二条城の大広間に諸藩重臣を召集し、政権を朝廷に返上する意向を表明した。翌日、慶喜は天皇に上表し、大政奉還が正式に成立した。
265年間続いた徳川幕府の政治的権威は、まさにその誕生の地・二条城で終焉を迎えた。京都御所はこの政権返上の受け皿となった朝廷の本拠であり、明治維新後の新政府が天皇親政を宣言した「小御所会議」の舞台でもある。
慶喜が大政奉還に踏み切った背景には、薩長同盟の成立と武力倒幕派の台頭がある。慶喜は武力衝突を避け、政権を奉還することで徳川家を「諸侯の一つ」として存続させようとした。しかしその目論見は翌年一月の鳥羽・伏見の戦いで崩れ、慶喜は大坂城から江戸へ撤退することになる。