清水寺の開創は奈良時代末期の延鎮(えんちん)上人にさかのぼる。宝亀9年(778年)、大和国(現奈良県)の子島寺で修行中の延鎮上人が夢のお告げを受け、滝の源を求めて北上。音羽山の滝のほとりで修行中の行叡居士(ぎょうえいこじ)に出会い、「この地に千手観音を祀るよう」との神託を受けて御堂を建てたのが始まりとされる。創建当初は「音羽山清水寺」として、現在地の音羽の滝を中心に発展した。
延暦16年(797年)、東北遠征に向かう途中で清水寺に立ち寄った征夷大将軍・坂上田村麻呂は深く帰依し、翌年に妻の高子とともに自邸を寄進して伽藍を拡充したと伝わる。田村麻呂は千手観音のご加護で蝦夷討伐に成功したと信じ、以後清水寺は武士・武将の篤い信仰を集めた。清水寺は創建以来、応仁の乱を含む度重なる火災で焼失したが、そのたびに再建された。現在の本堂は寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。
清水寺本堂の南に突き出した「舞台」は、斜面に立つ139本(柱全体で465本)の巨大な欅の柱によって支えられた懸崖造の建築。釘を一本も使わずに組まれた木組みは、江戸時代の建築技術の粋である。「清水の舞台から飛び降りる」という慣用句は「決死の覚悟で物事に臨む」意味を持ち、江戸時代に本当に飛び降り(生存率は85%以上とも)て願掛けする風習があったことに由来する。現在は飛び降り厳禁だが、音羽山を背に京都市街を見渡す景色は格別。