離宮八幡宮は石清水八幡宮とどんな関係がありますか?
貞観元年(859年)、僧・行教が宇佐八幡宮から八幡神を勧請して大山崎に創建したのが離宮八幡宮であり、その後、同じ行教が男山に勧請して創建したのが石清水八幡宮です。創建の順序としては離宮八幡宮が先であり、石清水八幡宮の前身にあたる古社とされています。ただし現在は石清水八幡宮が「男山八幡宮」として格式・規模ともに上位に位置しており、両社の関係性については歴史的経緯を踏まえて理解する必要があります。
大山崎油座の「神人」は具体的に何をしていたのですか?
神人とは、大社の権威のもとで商業・流通業務を担った人々の総称です。大山崎油座の神人は、荏胡麻の買い付け・搾油・荏胡麻油の販売という一連のサプライチェーンを担い、石清水八幡宮(および朝廷・幕府)から認められた関銭免除・独占的販売・購買権を行使しました。座に属さない非神人業者が油の取引を行おうとすれば、神人はこれを実力で排除する権限も持っていたとされます。
「楽市楽座」は大山崎油座に具体的にどんな影響を与えましたか?
楽市楽座とは、中世の座が持つ独占特権・関所通行特権を廃止し、誰でも自由に商取引できる市場を創出しようとした政策です。織田信長が永禄10年(1567年)以降に各地で実施し、大山崎油座のような特権的組合の経済的基盤を直撃しました。ただし信長の楽市令が大山崎油座に直接適用されたことを示す確実な史料の特定は容易ではなく、「楽市楽座の政策的波及と、戦国期の流通秩序の変動が複合して油座の特権を弱体化させた」と理解するのが史学的には適切です。いずれにせよ、近世に入ると油座の全国的独占は事実上終焉を迎えました。
荏胡麻油(えごまゆ)は中世日本において主要な灯明用植物油であり、寺社の灯籠・貴族や武家の燈火のほぼすべてをまかなっていました。現代でいえば電力に相当するインフラ財であり、需要が途絶えることがなかったため、その流通を握る大山崎油座の経済的価値は計り知れませんでした。荏胡麻油が菜種油に置き換えられる近世まで、この状況は基本的に続きました。