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上野東照宮|家光が造営した金色殿と徳川家康を祀る関東の日光
上野東照宮は、徳川家康を祀り三代将軍家光が慶安4年に造営した金箔の「金色殿」が戦火を免れて現存する、関東を代表する東照宮。桃山様式の唐門・銅灯籠・透塀など社殿群は国の重要文化財で「関東の日光」と称される。上野公園に鎮座し、JR上野駅から徒歩約5分。冬はぼたん苑も見どころ。
目次
MOKUJI
創建の経緯——鬼門を守護する聖地
家光の造替——金色殿の誕生
銅灯籠——大名権力が刻んだ歴史
祭神と信仰——三柱を祀る特別な東照宮
まとめ——関東の日光へ参拝する
よくある質問
上野東照宮は、徳川家康を「東照大権現」として神格化して祀る東照宮の一社であり、三代将軍徳川家光が慶安4年(1651年)に造営した金箔の社殿「金色殿」が、明治の上野戦争や第二次世界大戦の戦禍をくぐり抜けて現存する、関東屈指の江戸初期建築の遺構である。「関東の日光」とも称されるその輝きは、400年近い時を経た今もなお参拝者を圧倒する。
上野東照宮の金色殿(社殿)。金箔に覆われた江戸初期建築で国の重要文化財「関東の日光」
創建の経緯——鬼門を守護する聖地
藤堂高虎と本多正貞の発願
寛永4年(1627年)、藤堂高虎と本多正貞は、江戸城の鬼門(北東)を守護する地として上野台地の一角に祠を建てたのが上野東照宮の起源とされる。藤堂高虎は秀吉・家康の二代にわたって仕えた武将で、築城の名手としても名を馳せた人物。その高虎が生前より家康への崇敬を深め、崇敬の証として建立した社が後に壮麗な東照宮へと発展した。
神仏習合の舞台——東叡山寛永寺との深い縁
上野台地は天台宗の名刹寛永寺の寺域でもあった。天海(慈眼大師)が「江戸の比叡山」として整備したこの地に、東照宮が営まれたのは偶然ではない。天海は徳川家の宗教的権威を確立するうえで重要な役割を果たした僧で、寛永寺が上野東照宮の別当を務めることで、神仏習合の信仰が一体となって徳川の権威を支えた。明治の神仏分離令以降は切り離されたが、両者の歴史的つながりは江戸の宗教地図を読み解く重要な鍵である。
上野東照宮の金色殿正面。金箔の唐門と扉が輝く、三代将軍家光が慶安4年に造営した社殿
家光の造替——金色殿の誕生
慶安4年(1651年)の大規模造替
寛永11年(1634年)に徳川家光が初めて参拝した上野東照宮は、その後、家光の発願によって大規模な造替が行われた。慶安4年(1651年)に完成した社殿群は、豊臣時代に花開いた桃山様式の豪奢を受け継ぎながら、江戸幕府の威信を体現する重厚さを備えた。正式名称「社殿」ながらも通称「金色殿」と呼ばれるのは、外壁・柱・扉に至るまで金箔が惜しみなく用いられているためである。
重要文化財に指定された社殿群の構成
現存する社殿群は、江戸初期建築の精華として国の重要文化財に指定されている。各構成要素には固有の意匠と機能があり、一体となって壮大な宗教空間を形成している。
構成物
特徴
唐門
金箔の彫刻が施された正面の門。唐破風が印象的
透塀
格子状の目透かし塀。境内を囲み神域を視覚的に区切る
幣殿
供物を奉る幣帛殿。唐門から本殿へと続く中間空間
拝殿
参拝者が礼拝を行う空間。彩色彫刻が随所に施される
本殿
祭神(家康・吉宗・慶喜)を奉安する中核の社殿
上野東照宮の参道に並ぶ銅灯籠。江戸時代に諸大名が奉納したもので当時の権力構造を伝える
銅灯籠——大名権力が刻んだ歴史
諸大名が競い合うように奉納した銅灯籠
参道に整然と並ぶ銅製灯籠は、江戸時代を通じて全国の諸大名から奉納されたものである。徳川将軍家への忠誠を示す行為として、大名たちは競うように灯籠を寄進した。灯籠の台座や竿に刻まれた銘文は、奉納した大名家の名と時代を記録する一次史料でもあり、当時の権力構造と諸大名と将軍家との関係性を今日に伝える貴重な文化財である。
上野戦争と戦禍を乗り越えた奇跡の現存
明治元年(1868年)の上野戦争(彰義隊の戦い)では、上野の山が激戦地となり、寛永寺の建造物の多くが失われた。しかし上野東照宮の社殿は戦火を免れた。さらに第二次世界大戦中の空襲においても、金色殿は焼失を逃れている。桃山様式の精華が2度の大きな破壊の危機を乗り越えて現存する事実こそが、上野東照宮の文化財としての希少価値を際立たせている。
金色殿の唐破風と精緻な彫刻。桃山様式を受け継ぐ豪華な装飾を間近に望む
祭神と信仰——三柱を祀る特別な東照宮
徳川家康・吉宗・慶喜の三柱
上野東照宮に祀られる祭神は、**徳川家康・徳川吉宗徳川慶喜**の三柱である。家康を主祭神とする東照宮は全国に点在するが、幕府中興の祖とされる第八代将軍吉宗、そして江戸幕府最後の将軍慶喜をともに合祀する例は珍しい。徳川家の始まりと終わり、そして再建を担った将軍が一堂に祀られることで、徳川三百年の歴史が凝縮された空間となっている。
四季の参拝——冬のぼたん苑
境内に隣接するぼたん苑では、12月から2月にかけて200株以上の牡丹が藁囲い(雪よけ)に守られて冬の寒さの中で凛と咲く。このぼたん苑の冬牡丹は上野の冬の風物詩として親しまれており、江戸の風情を再現したような景観の中で金色殿を背景に牡丹を愛でる体験は、他では得難いものである。春にも牡丹が咲き、花の季節には参拝と観花を組み合わせた訪問が楽しめる。
金色殿の金の扉と透塀。戦火を免れた江戸初期建築の輝きを今に伝える
まとめ——関東の日光へ参拝する
参拝時のポイント
JR上野駅(公園口)から徒歩約5分。上野公園の案内板に従って進むとすぐに参道に入れる
金色殿(社殿)の拝観は有料エリア(唐門の内側)への入場が必要。唐門・透塀・幣殿・拝殿・本殿の全体を間近で拝観できる
銅灯籠は参道(無料エリア)に立ち並ぶため、拝観料なしでも見ることができる
冬のぼたん苑(12月〜2月)と春のぼたん苑(4月頃)は別途入場料が必要。冬の雪よけ(藁囲い)の牡丹は上野の風物詩
御朱印は授与所で受けられる。拝観時間・拝観料・御朱印の有無は季節や行事により変動する場合があるため、最新情報は公式サイトで確認のこと
上野公園内には複数の史跡・堂社が点在するため、まとめて巡礼すると効率的
ゆかりのスポット一覧
上野東照宮と歴史的・地理的に深くつながるスポットをあわせて訪れることで、江戸の宗教地図と都市構造が立体的に見えてくる。
上野東照宮——金色殿と銅灯籠。関東を代表する徳川家康の聖域
寛永寺——上野東照宮の別当を務めた天台宗の名刹。東叡山として江戸城の鬼門を守った
不忍池弁天堂——天海が琵琶湖竹生島を模して建てた弁財天の堂。不忍池の中心に浮かぶ
清水観音堂——京都清水寺を模した舞台造の堂。上野の山の高台から不忍池を見下ろす
上野大仏——度重なる震災・戦災で顔面のみが残る、上野の歴史を刻む大仏
おすすめの巡礼コース——上野の山めぐり
上野の山をひと巡りする半日コース。JR上野駅を起点に、徳川家ゆかりの史跡を連続して歩ける。
1.
上野東照宮——参道の銅灯籠を抜けて金色殿を拝観
2.
清水観音堂——舞台造の堂から不忍池の景観を望む
3.
上野大仏——「これ以上落ちない」合格祈願の顔だけ大仏
4.
不忍池弁天堂——池の中の弁財天に参拝。池畔を散策
5.
寛永寺——根本中堂で天海の遺志に触れ、将軍家の菩提を感じる
所要時間は約2〜3時間。上野公園の桜並木・博物館・美術館と組み合わせることで、終日の文化探訪も可能。
よくある質問
上野東照宮は誰を祀っているの?
上野東照宮の主祭神は徳川家康(東照大権現)。これに加えて第八代将軍徳川吉宗と、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が合祀されており、三柱を一度に参拝できる珍しい東照宮となっている。
金色殿の拝観料や開館時間は?
拝観料・開館時間は季節・行事・改修の有無により変動する場合がある。また冬・春のぼたん苑には別途入場料が設定されている。最新の情報は上野東照宮の公式サイトまたは現地案内板で確認することをすすめる。
ぼたん苑の見頃はいつ?
冬牡丹は例年12月初旬〜2月下旬頃が見頃で、藁囲いに守られながら寒中に咲く姿が風情深い。春牡丹は例年4月中旬〜5月上旬頃が見頃。年により開花時期が前後するため、訪問前に公式情報を確認のこと。
上野東照宮へのアクセスは?
JR上野駅の「公園口」改札を出て徒歩約5分。上野公園内の案内板に「上野東照宮」の表示があり迷わず到達できる。東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」からも徒歩約10分でアクセス可能。
最終更新: 2026年6月5日
── 了 ──
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