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駅伝発祥の地・上野不忍池——日本初の東海道駅伝と記念碑の歴史
上野・不忍池のほとりに立つ「駅伝の碑」は、1917年(大正6年)に京都の三条大橋から上野不忍池まで走られた日本初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」のゴール地点を記す記念碑です。奠都五十周年記念大博覧会を機に生まれた駅伝の起源と、碑をめぐる上野公園の歴史散策コースを紹介します。
目次
MOKUJI
駅伝発祥の地・上野不忍池とは
なぜ上野不忍池が駅伝のゴールになったのか
「駅伝」という言葉の由来
駅伝の碑とあわせて巡りたい上野の歴史スポット
よくある質問
東京・上野公園の不忍池のほとりに、ひっそりと「駅伝の碑」が立っています。結論から言えば、ここは日本初の駅伝がゴールした、まさに「駅伝発祥の地」です。1917年(大正6年)、京都の三条大橋を出発した走者たちが、三日間をかけてたどり着いたゴールが、この上野不忍池でした。本記事では、碑が伝える日本初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」の歴史と、碑をめぐる上野公園の参拝・散策コースを紹介します。
上野不忍池のほとりに立つ「駅伝の碑」。日本初の駅伝・東海道駅伝徒歩競走のゴール地点を伝える記念碑
駅伝発祥の地・上野不忍池とは
「駅伝の碑」はどこにあるのか
「駅伝の碑」は、上野恩賜公園の不忍池のほとりに建てられた記念碑です。黒御影石にはめ込まれた円形のプレートには、二人の走者の姿とともに「駅伝の歴史ここに始まる」と刻まれています。JR上野駅から徒歩圏内、不忍池弁天堂のすぐ近くにあり、蓮に覆われた池を背景に静かにたたずんでいます。観光客の多い上野公園のなかでも見落とされがちですが、日本のスポーツ史にとっては記念すべき場所です。
碑が伝える日本初の駅伝
碑のプレートには、日本最初の駅伝の概要がはっきりと記されています。それによれば、我が国最初の駅伝は「奠都五十周年記念大博覧会」を機に行われた「東海道駅伝徒歩競走」であり、大正六年(1917年)四月二十七日・二十八日・二十九日の三日間にわたって開催されました。スタートは京都・三条大橋、そしてゴールが、ここ東京・上野不忍池の博覧会正面玄関だったのです。碑そのものが一次史料となって、約100年前の出来事を今に伝えています。
なぜ上野不忍池が駅伝のゴールになったのか
蓮に覆われた不忍池と弁天堂。1917年の東海道駅伝はこの上野不忍池の博覧会正面玄関をゴールとした
奠都五十周年記念大博覧会と東海道駅伝
1917年は、明治天皇が京都から東京へ都を移した「奠都(東京奠都)」から数えて50年の節目にあたりました。これを記念して上野で開かれたのが「奠都五十周年記念大博覧会」です。その目玉企画のひとつとして、読売新聞社が主催したのが、旧東海道を舞台にした長距離リレー「東海道駅伝徒歩競走」でした。京都から東京までのおよそ500キロメートルを、関東組と関西組の二チームがタスキでつなぎながら走り抜ける、前例のない壮大な競走だったとされます。
京都・三条大橋から上野までの三日間
走者たちは京都・三条大橋をスタートし、東海道の宿場をたどりながら、昼夜を問わず走り続けました。当時はもちろん舗装されていない道も多く、三日間で東京・上野へ到達するという過酷な行程でした。下の年表は、碑が伝える日本初の駅伝の概要です。
項目
内容
名称
東海道駅伝徒歩競走
開催年
1917年(大正6年)4月27〜29日
区間
京都・三条大橋 〜 東京・上野不忍池
距離
およそ500キロメートル
きっかけ
奠都五十周年記念大博覧会
「駅伝」という言葉の由来
古代の駅制から生まれた名前
「駅伝」という言葉は、この東海道駅伝徒歩競走のときに初めて競技の名として用いられたとされます。その名は、古代日本の交通制度「駅制(駅伝制)」に由来します。律令時代、街道には一定間隔で「駅(うまや)」が置かれ、馬や人を乗り継いで情報や物資を伝えました。タスキを次の走者へとつないでいく長距離リレーの姿が、この古代の制度を思わせることから「駅伝」と名付けられたのです。今日では正月の風物詩として親しまれる言葉が、上野不忍池を起点に広まったことになります。
日本マラソンの夜明け
東海道駅伝徒歩競走には、日本のマラソン黎明期を担った選手たちが参加したと伝えられます。なかでも、1912年のストックホルムオリンピックにマラソン代表として出場した**金栗四三(かなくり しそう)**は「日本マラソンの父」と呼ばれ、後の箱根駅伝の創設にも力を尽くした人物として知られます。日本初の駅伝から箱根駅伝、そして正月の風物詩へ——その出発点が、この上野の地にありました。
駅伝の碑とあわせて巡りたい上野の歴史スポット
金色の社殿がまばゆい上野東照宮。駅伝の碑とあわせて巡りたい上野公園の歴史スポット
駅伝の碑が立つ上野公園一帯は、江戸時代に寛永寺の広大な境内だった場所です。碑を訪ねたあとは、徒歩圏内に集まる歴史スポットをあわせて巡るのがおすすめです。
不忍池弁天堂と寛永寺
碑のすぐ近くに建つ不忍池弁天堂は、天海大僧正が琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池の中島に建てた弁財天のお堂です。その本坊であった寛永寺は、徳川将軍家の菩提寺として絶大な威容を誇りました。蓮の池と弁天堂の景色は、駅伝のゴールを見守ってきた風景でもあります。
駅伝の碑のすぐ近くに建つ不忍池弁天堂。天海大僧正が竹生島になぞらえて中島に築いた弁財天のお堂
上野東照宮と清水観音堂
金色の社殿がまばゆい上野東照宮は、徳川家康をまつる江戸初期建築の精華です。また、京都の清水寺を模した舞台造りの清水観音堂からは、有名な「月の松」越しに不忍池を望めます。学問の神をまつる五条天神社もあわせて、上野公園は一日かけて歴史散策を楽しめるエリアです。
清水観音堂の「月の松」越しに望む不忍池。京都の清水寺を模した舞台造りの観音堂
参拝・散策のポイント
駅伝の碑は不忍池弁天堂の近く。蓮の見頃は7〜8月
上野駅・京成上野駅から徒歩すぐで、雨でも巡りやすい
弁天堂・東照宮・清水観音堂は公園内で徒歩数分の距離
御朱印やスタンプを集めながら巡ると記念になる
よくある質問
駅伝発祥の地の碑はどこにありますか?
「駅伝の碑」は東京・上野恩賜公園の不忍池のほとり、不忍池弁天堂の近くにあります。JR上野駅・京成上野駅から徒歩約5〜10分で、蓮に覆われた池を背景に立っています。
日本初の駅伝はいつ開催されましたか?
碑によれば、日本最初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」は1917年(大正6年)4月27日から29日までの三日間に開催されました。奠都五十周年記念大博覧会を機に、京都・三条大橋から東京・上野不忍池までを走り継いだものです。
なぜ「駅伝」と呼ぶのですか?
「駅伝」の名は、古代日本の交通制度「駅制(駅伝制)」に由来するとされます。街道の「駅」で人馬を乗り継いだ古代の仕組みになぞらえ、タスキをつなぐ長距離リレーがこう名付けられました。
上野公園で駅伝の碑とあわせて巡れるスポットは?
不忍池弁天堂寛永寺上野東照宮清水観音堂などが徒歩圏内に集まっています。江戸の歴史を伝える下町風俗資料館もおすすめです。
最終更新: 2026年6月5日
── 了 ──
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