川中島の五度の合戦では、どちらも決定的な勝利を収めていない。第四次川中島(永禄四年・1561年)が最大の激戦とされるが、両軍の損害は甚大であり「勝者」を明確に定めることはできない。「どちらが強かったか」という問いに対して、史料は明確な答えを与えない。
謙信は弘治三年(1557年)に関東管領・上杉憲政から管領職を譲り受けた(正式な就任は永禄四年・1561年)。関東管領は関東地方の武士を統率する役職であり、関東の北条氏に対抗することは「管領としての義務」という側面があった。ただしその都度出兵しながら後北条氏を駆逐できなかったことは、謙信の限界でもあった。
関ヶ原の戦い(慶長五年・1600年)後、上杉景勝は会津120万石から米沢30万石へ大幅に減封された。越後には堀氏が入封し、より機能的な福島城(高田城の前身)の築城が進められた。山城である春日山城は近世の城郭需要に合わず、自然に廃城となった。