記紀(『古事記』『日本書紀』)の記述は神話・伝説と歴史記録が混在しており、日本武尊の実在性を史料のみで証明することはできない。ただし「景行天皇代に皇族が各地で勢力拡張に従事した」という大枠の歴史的背景を否定する根拠も乏しい。実在の複数人物が一つの英雄像に収斂した可能性や、伝承的誇張が加わった歴史的人物であるという仮説が複数の研究者によって提示されており、単純に「実在した」「しなかった」と断じるのは早計である。
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)は三種の神器の一つであり、現在は熱田神宮に奉斎される。その物理的形状は非公開であり、神体として直接拝観することはできない。神話上は素戔嗚尊が八岐大蛇の体内から取り出した剣(もとは「天叢雲剣」と呼ばれた)が源流とされ、相模での野火においてその神威が「草を薙ぐ」形で現れたことから草薙の剣と呼ばれるようになったと記録される。
日本武尊が薨去後に白鳥となって各地を飛翔したという『古事記』の記述が、各地の白鳥神社・白鳥陵の創祀伝承と結びついたためである。中央政府(律令国家)が各地域の在地伝承を記紀の英雄神話と接続することで、地域の正統性を保証するという政治的機能も果たしていたと解釈できる。大鳥大社(大阪)・白鳥神社(愛媛・東予)・白鳥神社(香川)などが代表例として挙げられる。
日本武尊の妻・宮簀媛命(みやすひめのみこと)が草薙の剣を奉斎するために創祀したと伝わるためである。英雄の薨去後に遺品・形見として神格化された剣を妻が祀るという構造は、英雄の霊的な力が神器を通じて現世に留まるという信仰観と結びついている。熱田神宮は伊勢神宮に次ぐ格式を持つとされ、尾張・三河(現・愛知県)の中心的な霊地として中世以降も武将の崇敬を集めた。織田信長が桶狭間の戦い(永禄三年/1560年)の前に戦勝祈願を行った神社としても著名である。